祇園祭 後祭 山鉾宵山の様子③
●役行者山(えんのぎょうじゃやま)の見どころ
・まつっているのは、修験の祖・役の小角(えんのおづの)と一言主神(ひとことぬし)、葛城神。
・山鉾町を焼いた幕末の禁門の変の大火(1864年)の影響は少なく、翌年には巡行に参加している。
・巡行前日の23日に、聖護院の山伏が護摩を焚く。「山伏問答」も見もの。
→六角堂を出発した山伏が、浄妙山、北観音山、南観音山、八幡山を巡拝し、最後の役行者山にやってくる。
→これは役行者山だけの行事。
●八幡山の見どころ
・山に設置する鳥居には、左甚五郎作と伝わる木彫りの鳩のつがいが載っている。
・江戸時代後期の後祭巡行の様子を描いた屏風「祇園会後祭山鉾巡行図」の副葬品を、飾り席で見ることができる。
●北観音山の見どころ
・ご神体は、楊柳観音像(ようりゅう)で、北観音山は韋駄天像、南観音山は善財童子像が加わる。
・両替商の三井家、伊東家(後に松坂屋を創業)という大富豪が軒を連ねていた。
・鉾のような構造をした曳山だが、真木(しんぎ)ではなく真松(しんまつ)をたてる。
・宵山を彩る駒形提灯は、慮面で約90個で、最も多いと言われている。
・「幻の絨毯」といわれる17世紀のインド絨毯「八つ星メダリオン草花文様」を所有。
・33の山鉾町でただ1つ、厄除けちまきや開運グッズをうらず、一般見学者を山にあげない。
→長刀鉾・放下鉾と同じく、昔から伝わるしきたりを守り女性を山にあげない。
●南観音山の見どころ
・ご神体は、楊柳観音像(ようりゅう)で、北観音山は韋駄天像、南観音山は善財童子像が加わる。
・江戸時代まで、北観音山と1年交代で観音山をだしていた。両方とも出るようになったのは、明治時代になってから。
・明治前期から2013年までは、巡行のしんがりを務めた。14年からは、6番目の「くじ取らず」となった。
・17世紀に作られたと見られる懸装品「中東連花葉文様緞通(だんつう)」を、14年に復元新調した。
→イスラム製の織物という意味の「いむすおり」と呼ばれる。
※京都新聞による
役行者山

南観音山

スポンサーリンク




